命日

今日は親父の四回目の命日です。

久しぶりにお線香を・・・・・

 

サービスで3本にしてみました(笑)

お供えにポカリスエットが。

親父が大好きだった飲み物なので妹がいつもどおりお供えしたそうです。

誤嚥性肺炎で亡くなった親父は症状が良くなった頃、ポカリが飲みたいポカリが飲みたいと言っていた。

又、誤嚥するからダメと医師に止められ

飲食は全くなし。

 

最後に親父に会った時も車椅子を押しながら院内をフラフラしてると自動販売機を指差してたな。

あと少しで飲めるようになるから頑張りなって励ました

そしたら、残念そうな顔をしてコクリと頷いていた

俺の言うことを素直にきくなんて

そんな親父の背中が凄く小さく感じた。

全くもって気にしていなかったけど親父も歳をとったんだな。

これからはちゃんと面倒見てあげないと。なんて思って病院を後にした。

それが最後の親父との会話だった。

 

入院前から胸が痛くて仕方ない

病院に行っても原因がわからないと言われてると

辛そうに家でうなだれていたような気がする。

その後、発熱し検査のための緊急入院

その後もしばらく原因がわからず症状は悪化するばかり

わからないなら専門医のいる病院に転院させてくれと頼んでも

担当医師は許可を出さず、誤嚥性肺炎がわかった頃には随分弱っていた。

それでも何とか弱りながらも回復し

やっと念願叶って転院決定。

別の病院でのリハビリを理由にやっとあの病院から抜けられる

と家族一同喜んでいたら

転院先に出発する30分前に

様体が急変したと連絡が。

近所の病院だけに数分で到着

しかしその時すでに息を引き取ってた。

後で思ったことだが形だけの蘇生をしていたように思える。

なぜか看護師が全員集合状態で蘇生を見守っていた。

病院について1時間くらいたった頃だろうか親父の手を握りしめていた妹が手を離すと親父の手はそのまま腕をたてるように固まっていた。

もう固まっちゃうのって妹の声が頭に残ってる。

 

担当医師からの説明があったがしどろもどろ

 

個室で転院を待っていた親父は一人きり

放置状態で肺炎で弱った気道にタンでも詰まって窒息死に至ったんだと思う。

一人で怖かったろうな。苦しかったろうな。

と思うと胸が痛い。

 

かかりつけ医感覚で行っていた病院だが今は誰も行かなくなった。

 

どんなことがあったにしろ「寿命」だったと思うようにしているけど、やっぱり納得出来ないことが多々あるかも。

病院選びも大事。担当医の初見も大事。

入り口が間違うと迷路に迷い込む

 

と、気づけばこんな時間!!!

コンナ事を書く予定ではなかったのに。。

 

と言うか最近記憶力がかなり低下しているのに

結構鮮明に覚えていてビックリ★★★

忘れられないことってあるもんですな。

 

おかげさまでこの連休2日目を終えて、大勢のお客様にご来店頂いております。

明日も頑張ります\(^o^)/